オリンパス・ペンEES

 実家から、ペンが三台転がり出てきた。

 どうやら右上が初代ペン、左上がペンEES、下がペンEEDらしい。
 それぞれ父・母・父方の祖父の物だった。自分は特にEES、これを子供の頃一番使った様に思う。
 何といっても電池もいらないのに押すだけポンの自動露出。フォーカスは近・中・無限遠と三段から選べる。{固定露出・固定ピントの写ルンですとは違う!!}
 ペンと言えばハーフサイズカメラなので普通の倍、つまり24枚撮りなら48枚、36枚撮りなら72枚{実質それぞれもっと}撮れてしまう。
 なので特に36枚撮りなんか入れてしまうと一つの行事で撮り終わる事はまず無い。
 遠足なんかに持って行ってもみんなでする写真の交換なんかにゃ間に合わない上、下手すりゃそのままクラス替えになってしまう。
 そのせいだろうか、使った記憶はあるのに撮れた写真の記憶があまり無い。

 実用性も思い出も一番なのだが、最後に使った時には確か自動露出が効かなくなっていたし、レンズ部分が大きくガタついていたのでこれもサヨナラ。

 他の二台も難ありなもんで、只今復活模索中・・・
 

キャノン・オートボーイプリズマデート

 父は元々写真を趣味にしていた筈なのが、いつしか「カメラ」が趣味に替って行った節がある。
 お陰で、というか家には色んなカメラがあったのだが大体にして物が古く、冗談で済む程度の値の物しか買わないし、実際の所結局使わないような物も多かった。
 だから遠足だなんだでカメラが入用となれば「これ持って行けや」となり、周りの皆が「写ルンです」やコンパクトカメラで片手撮りしている中、自分だけ違うオーラの全手動の金属製で、よく撮るタイミングを失っていた記憶がある。

 自分がワーキングホリデーで一年間オーストラリアに行くとなった時に親父がよこしたのがこれだった。

 こういうプラスチック性のが一般化してきてある程度経ち、ズームも無く大きめで、一般受けする特徴もないこういうカメラが中古市場でだぶついてきたのだろう、安く手に入れて来た筈なのだが、親父の心をつかんだのであろう機能がこれだ。

 ウエストレベルのファインダー。カメラの裏からのみならず上からファインダーが覗ける。記念撮影の為にテーブルの上なんかに置いて使い易いように、という今でいうバリアングル液晶のはしりみたいなものだ。
 赤外線リモコンもセットされていて、自撮りに特化したカメラだが、一人で旅に出る息子を想って買ってくれるような性格の人ではなかった事もあり、自分は貰っておきながら後で相当に文句を垂れた。

 36枚撮りフィルムを入れて使っていると、8枚とか、10枚とか撮った所で勝手に巻き戻しを始めてしまう。まだ20枚以上撮れる筈なのにそこで一本撮り終わり。当然フィルム代も現像料も、現像するまでの収納場所も無駄に使う事になる。
 これには本当にムカついた。
 後にどうやら原因は電池室に砂漠の砂が入り込んで{バイクで砂漠を走っていた。}接触不良を起こしていた事にあったのが分かるのだが、しかし「通電が途切れたらフィルム巻き戻し」というのは何とも迷惑な仕様だ。 
 35mmの単焦点というのもただただ広大な風景の中では何とも使いづらかった。 
 結局、親父のおさがりに期待するからいかんのだ、と帰国後自分でカメラを買い→{初めて買ったカメラ - ざるの洗い方}←{結局焦点距離の事を理解していなかったのでまた35mmからのズームを買っている。}やっと自分は広角が欲しいのだと言う事が解り、一眼レフ用の広角レンズを買うに至る。一眼レフのボディーはこれまた親父がどっかで安く買ってきたニコンFE。
 一度ニコンのサービスに点検に出したらマウントが歪んでいることが解りこれまた親父に文句を言った。
 

 親父にはこんな風にして俺に色々くれたのに、なんだか素直に感謝されづらい、損ばかりしてきた人だよなぁと、今になってしみじみ思う。
 まだ使えるかもしれないが、フィルムの時代は終わってしまった。このカメラとも、さようならだ。

電磁波

 先日息子らと自転車・ストライダーに乗って近所の川に遊びに出掛けた。
 長男の旺盛な捕食本能のはけ口にできるものを、まだ水温も低い{活性が無い}というのに川エビ以外に即時プロデュースできるネタが無かった。

 水面を覗いて、「まぁ、あんまいねぇなぁ」
 なんて思っていると海岸の方でブラついていた親子の子供の方が来て親しげに話しかけてきた。
 特徴的な子だなぁと思っていると、これまた特徴的な遊びをし始めたので おぉ、とカメラを構えると
 「あの!スミマセン!!」
 遠くにいたお母さんが強く言ってきたので手を止める。
 「あの、電磁波が。過敏なんです。だから電線の少ないこの辺りに引っ越してきたんです。」

 電磁波。カメラ。
 シャッターを押すと250分の1秒とかでセンサーからレンズを通して被写体に電磁波が?
 いや、一番被害被りかねるの機械を顔に押し付けてる俺だけど。
 いやこのカメラ、マグネシウム合金で出来てるからそれも大丈夫・・・
 いや、高圧電線が架空されているのは安房〜宮之浦間なんだからもうちょっと南に住んだ方が。
 とか一瞬で頭の中がぐるぐるなったけどそういう問題ではない。
 嫌だと言われたらそれまでだ。カメラを暴力的な武器にしてはいけない。


 しかし昔と比べて肖像権とか、そういった意味ではいろいろ写真を撮るのも難しくなってきたと言われるけど、そうか電磁波。そういうのもか・・
 持ってても結局あまり使ってない機械式のフィルムカメラ、ここに需要があるのかもしれない。
 電磁波フリーの写真館。うん屋久島ならイケかねる。けどストロボもダメかなぁ。

 

 帰り道、背中に背負った次男が空を指さし何か言うので、見ると飛行機。
 飛行機雲が出てるのと出てないのが同時に飛んでたので不思議に思い、なんとなく写真を撮ってみると

 航空自衛隊のE−767?!
 旅客機にすりゃぁ最大300人以上載せられる飛行機の乗員が四人になる程電子機器を詰め込んだ、早期警戒管制機
 特徴的な背中の丸いのはレーダーアンテナ。当然相当強力な電波を発し、「強力な電磁波から乗員を保護するために、操縦席以外窓がない」のだそうな。
 一機550億円もするらしい飛行機を、単なる道楽で飛ばしてる訳はない。当然レーダーのスイッチはバリバリにONだろう。


 あの親子、大丈夫だったろうか?体調崩して、
 「あの野郎、やっぱりこっそり撮りやがったんじゃ??」
 って恨まれてはおるまいか?


 まぁ、野口英世は黄熱病で死に、キュリー夫人被爆で死んだ。
 我々は常に未知の力が存在する可能性を、否定はできない。
 けど。カメラと撮影者の発する「見えない何らかの力」というのは、確かにある気はする。けど多分それは、電磁波じゃない、気がするなぁ。

縄文杉の新デッキ完成!

 以下のブログを書いて早三年。
縄文杉デッキに迂回路完成。 - ざるの洗い方

 そう、三年の間ずっと、「南デッキ」しか使えなかった。
 夏の混雑時は、と言っても屋久島人気の最高潮であった数年前に比べれば屁でもない人数しか上がってない日でも、デッキが狭いだけにとんでもなく混雑した。
 デッキへの上り下りも急だし、せっかく高いお金を出して、とんでもない距離を歩いてわざわざ見に来るお客様には後ろめたい気持ちさえあった。
 そう、三年も経ちましたか。
 

 前の環境省の係りの人が「屋久島はこれから縄文杉に頼らない観光を」だなんて言い出して、縄文杉をよく見せようという気が感じられず、この新しいデッキにもなんだか期待できなかったのだけど。
 その後人が変わり、話し合って高さも上がり、来月から解放の予定だったと思うのだが前倒して解放してくれた。
 思っていたよりも広くて雰囲気は良かった。


 縄文杉はパリにおけるエッフェル塔みたいなもんだ。
 エッフェル塔はなくともパリは素晴らしい。
 町をブラついて買い物してにっこり「メルシオヴァ」なんて言ってみたり、チーズ食ってワイン飲んで街の空気を感じる事だけでも楽しい。
 でもその街を象徴し、写真一枚で納得させるような存在感があるのはやっぱりエッフェル塔凱旋門シャンゼリゼ通りになってしまう。
 同じだ。
 縄文杉だけ見て屋久島を知ったように思うのは勿体無い。とんでもなく奥深い島だけど、ひとまずこれを見とかないとと思わせる存在、これは我々にはどうしようもなく、この樹だけが持ちえた神秘性の賜物なのだろう。自分たちが頼るとかどうだという話ではない。


 この先、また今まで見られなかった横からの縄文杉も見られるように新しいデッキも作っていき、そして現「南デッキ」は解体される予定となっている。


 南デッキ、しっかりシミュレーションしてみたら、本当に上から枝が落ちてくる可能性なんてあるのかなぁ?。解体しないでほしいんだけど。
 

一応スキーした、という話。

 ↓前の投稿で書いた通り、スキーにシール張ってランド線、上がってきました。1/25.

 長男を幼稚園に預け、次男と嫁と雪の様子をチェック。

 早起きして行かないやる気のなさ。
 

 まー私の二駆車では明星岳展望所までしか上がれなかったのでそこに車を停め、ちょっと歩いた所で早速スキーにシールを貼ってみる。すると

 心優しい雪タイヤ履いた四駆乗りが乗っけてくれて標高500m辺りまでワープ。

 これ、ホント有り難い。

 よくわかわんのだけど、自分のスキー板はテレマークなんだが「滑る事」に重点を置いた板だと思う。
 だから山歩き向けの物と比べると、重い、のだろう多分。
 んな重いもん両足に履いて歩くという動きに慣れてないもんで、股関節前がちょっと痛くなってきて、その筋肉を使わない動きを意識する。
 ナルホド、これは多分テレマークを滑る上でも役に立つ動きだぞ、とかブツブツ言いながら歩く。

 歩く。

 昼飯はマルタイ棒ラーメンにおにぎり。
 このジェットボイルが最近、今更ながらお気に入り。


 まだまだ降ります。
 昼頃にはやっぱり気温が上がってきて、滑り降りるのはちょっと気温が下がったぐらいが良いかな?と思っていると

 ヤクスギランドについちゃいました。
 
 道路上でまともに滑れる勾配があるのはここらぐらいなもんで、{と言っても初心者向けコース程度。}何度か滑って登ってを繰り返し、2・3回やったらもう十分アホらしくなる。リフトがあるスキーゲレンデの有り難さを痛感。

 で、下山開始。

 スキー履いて登ってきた道がすでに雪が解け、車のかなりな手前でスキー脱いで歩くハメに。

 ザックにスキーホルダーがついてたらやっぱ便利なんだろか。板担いで歩くのって 結構大変。
 いろいろビシャビシャで疲れて帰ってきたけど、ヤクスギランドまで自力で行って帰ってきたと思えばまぁ、そんなもんか。
 来年積もったらまたやるか?というと・・微妙。
 できれば宮之浦岳の斜面で滑りたいもんだが、シール履いて登るしんどさと、そうして稼いだ高度差をいかに一瞬で降りるのか、そして自分にちゃんと自然の地形を滑るスキー技術があるのかを考えると スキー楽しみたきゃゲレンデ行こうぜ、てのが正解に思える。

 移動手段として考えると、ただ山の斜面を登るのならこの重いスキーより取り回しも良いスノーシューの方が格段優れている。ただ帰りに滑れれば当然それを帳消し以上にするメリットもある。
 まぁ、屋久島に住んでいる限り宮之浦岳スキーアタックは一度はやっておかにゃーならん課題だ。きっと来年、それなりの積雪があれば。

積雪


 縄文杉登山、登山口までの車道積雪により引き返してきました。
 そろそろ通行止めになることでしょう。
 せっかくはるばるお越しになったお客様には本当に申し訳のない不運です。
 しかしあれだけ暖冬だったのに。ぜひまた再度、改めてお越し下さい。

 里の方もあられが降っています。明日にはうっすら積もるところもあるでしょう。
 きっとそれに伴う交通事故も必ず起きます。
 運転される方だけでなく皆、もらい事故にも気を付けないといけません。



 で。
 スキーの準備しよっと。

 誰か、遊ぶ?