#jmga_wsdf20 腕時計の話。カシオWSD-F20
中学か高校だったか覚えてはいない頃、ふと母から祖父の遺品を貰った。シチズンのスーパージェット・オートデーターという機械式の腕時計だった。
振ってみると中で自動巻きの錘がゴロゴロンと回り、チ・チ・チ・チと中の歯車が時を刻み始めるのが分かる。大変気に入ったが、秒針と文字盤の金属片がひび割れた風防の中で転がりそのまま使える状態にはなく、自分ではどうしようも無いので引き出しの中で眠らせていた。
それがどのような経路で実家の残滓から掘り出されたのか覚えてはいないが、ずっと修理に出したかった思春期からの想いに押され、ネットで見つけた格安を謳うお店に修理に出した。
精密でアナログな機械というのは何とも言い難い魅力を持つ。完璧な修理にポリッシュを施されて帰ってきた時計に新品のバンドを施し腕に巻いてみる。
ブラシで叩くドラムのフィルインが脳内に響き、ピアノのジャズがスイングし始めた。
40歳手前にもなって「大人ぶる」だなんてな表現はアホらしいが、それまでしていた多機能で狂いようのないデジタル表示の電波時計が急にガキ臭く思えてきた。
左腕を少し顔に近づければクールで誠実な機械音が耳に届いてくる。それを腕に巻いてさえいれば、誰かに対して憤ったり妬んだりは永遠にしなくて済むような気さえした。
しかし、その甘美な恋はそう長くはもたなかった。
堅実な祖父は社会的地位のある人ではあったが、他に遺した品を見ても成金趣味的な高級品は一切無い。この時計にしても国産の、決して一級ではないクラスの品でありそれがまた自分の好みにはまった。但しそれ故に防水機能は持たされておらず、屋久島の多湿な屋外環境で使用しているとすぐ風防が結露し水滴が浮いてしまう。
プラスチック製の風防は傷がつきやすく、しかもふと何かに当たった瞬間に外れて、秒針と共に外れて落ちてしまった。それはつまり、日常的に汗をかき登山をし、思い立てば畑を耕し大工仕事や子供の相手をしている自分のような人間が日常的に腕につけていられる代物ではないという事だった。
いわばそれは、結婚後初めての失恋だった。倫理的な後ろめたさこそないが、その数週間の恋の為に、その時計の修理代がいくらかかったのかは未だ嫁には秘密なのである。
と、まぁこの超ハイテクな時計のレビューを始めるにはまったくもって不適切な事から書いてしまったが、時代は前にしか進まない。全盛期の吉永小百合は心の宝箱に入れておいて、きゃりーぱみゅぱみゅの魅力も楽しめないと長く生きる価値が無いというものだ。
そもそも機械式時計を使ってみようと思い立ったのも、腕時計が信頼できなくとも車や携帯電話やパソコンに十分信頼に足る時計が組み込まれているからこそ 毎日狂う/ゼンマイ巻かないと止まるような{今となっては}酔狂な物と付き合えると思ったからだった。
いつもふと目をやれる場所にあってくれるという点を除いては、今時腕時計が単に時間を表示できるというだけではさほど存在価値は無い。
だからスマホとのペアリング無しには時計としてすら使えないという仕様は今の時代の的を得ている、のかもしれない。
でかい時計だが腕に巻いてみると意外と邪魔ではない。プロトレックシリーズは伝統的にこのデカさがネックで、この点は辛口に評価するつもりだったのだがとにかくそう悪くない。
G-shokやプロトレックシリーズはワイルドさの演出なのかボタン部分が飛び出していることが多く、ふとした時に食い込み痛いものなのだが流石にそこを押さえたようだ。
まぁしかしモノとして手にした高揚感はやはり{今回は自分のモノでは無いというのもあるかもしれないが}無い。頭にジャズは流れてこないが、どうやらカバンに忍ばせたスマホ/タブレットの中の音楽を操作できたりはするらしい。しかしジャスじゃないな。せめてダフトパンクでも聞かせて欲しい。
ついにタブレットが故障修理から戻ってきたのでペアリングし、ひとまず単なる時計として一日使ってみた。
常にスマホ/タブレットを携行しないと使い物にならないのかと疑っていたが、ひとまず気圧・方位磁針・高度の「プロトレック」としての機能は問題無く、加えて直感的なタッチパネルのカラー液晶画面で使う事ができる。地図をインストールしないと現在位置が数字の座標でしか知れないが、GPSも動作しているようだった。それはつまり現場・現時点における潮位や日の出/日の入りの正確な時刻が前もっての補正無く得られるという事でもある。{←これちょっと違ったかも??}
ここまでだ。ここまでですでに5万円の時計としての元は取れる機能だ。
価格.comでスマートウォッチとして1位になっている、それも希望小売価格からほぼ値引きなしでしか手に入らない。なるほどこれは、この時計は元からお値打ちなのだ。
そこに加えてスマートウォッチとしての機能となると泥沼の様にありそうだ。肝心なところかもしれないがそこに関してレビューするには今暫し時間が掛かりそうなので今はここまでにしておきたい。
遭難事故の話と カシオの腕時計。#jmga_wsdf20
先月屋久島で起きた遭難事故は 流石全国版のニュースだっただけにお客さんによく質問をされる。
最も単純に言ってしまうと 時は梅雨時、屋久島名物の大雨が降り増水により寸断された登山道を渡ろうとした登山者と、それを助けに向かった引率者の二人が流され死亡した事故。
手痛いのはその場所が一般登山者向けではない、入り口に立ち入り禁止という看板のぶら下がったロープが張られた登山道に入り込み、さらに目指していた登山道とは違う 林野等の行政関係者が使う作業用の登山道に意図せず迷い込んだ先での事故だったという事だ。
まぁ、「一般登山者」をどう定義しようが、屋久島の国有林内で特に法的に立ち入りを規制された場所があるわけではないので「立ち入り禁止」に根拠はない。ただ、このような事故事例は 自分達の都合上そこを「立ち入り禁止」としておきたい人々に大義名分を与えてしまった一面がある。
こういった登山等における事故が起きる度に、山になぞ興味もない世間の人々から何かと禁止にすべきだ、とか 救助は全て自己負担であるべきだとか、特にネット上には他者の権利とそれに対する寛容さを完全に切り捨てた意見が溢れる。
そのような意見で世の中が動くとすればそれは悲しい事なのだが、登山者とは決して世の大多数ではない。登山の醍醐味ともいえる「自由」と並行してよく語られる「自己責任」の「自己」とは、ただ一個人に終始するものでは、どうやらすでに無くなりつつあるようだ。
事故を起こした登山者グループは、犠牲者となったリーダー格の方の献身によって成り立っていたようで、ホームページの掲示板には感謝と追悼の言葉が並ぶ。ただ、事故の報告書を読むと「大ベテラン」等というリーダー格の方を賛美する言葉を見るにつけ、心に冷える物がある。
道迷いが無かったとして、当初から予定していた下山ルートにも渡渉点があり、生き残った他メンバーが下山に選んだルートもまた渡渉点のある/事実2015年7月に死亡事故が起きたばかりの場所だった。報告書には事故の起きた沢の沢登りにおけるグレード{当然増水時には何の目安にもならない}が参照されており、「不運」の言葉が躍る。
・・まぁ弱り目の方々をあまり叩くのは本意ではないのだが、故人への賛美にとらわれると、経験として後に活かし切れないのではなかろうか。
「大ベテラン」
「○○さんと一緒なら」
「○○さんなら登れる」
こういった賛辞の言葉というのは困ったもので、言う側は意図してかどうか「連れていく側」という重荷を相手に、自分は「ついていく側」という楽な立ち位置に簡単に据える。
とにかく楽に登山がしたい人、自分が主体でなければ耐えられない人、色々な人で利害が一致しさえすればそれでその場は良いのだが、登山にまつわる色んな能力というのは主体性が無ければ身につかないものが多い。「連れて行って貰う」役回りは、力強いリーダーが身近にいれば尚更に抜け出せず、体質化してしまう。
そしてリーダー役は 「ほめ殺し」という言葉が世にあるように、酔いしれてロクなことがあるもんではない。{まぁ、酔いしれる事そのものの幸せさも解るけど。}
ある程度上の年代の「ヤマヤ」さんの中には、すごく肩肘を張ったなんだかすごく偉ぶった態度の人が多かったように思う。
それは確かに偉かったのかもしれない。足に合いもせず重い登山靴を修練と根性で何とかし、装備はいちいち重く、リュックに荷物を詰める事さえ結構な技術が要った。ラジオを聞き天気図を書き自分で予想立て、1ドル300円以上の時代にはほぼ「天竺」と同義語だった「ヒマラヤ」を目指し・・・“山”とは相当な努力と根性と時間を注ぎ込んだ「特別な人」のためだけの場所だった。
時代は流れ、色んな事が変わったもので。
装備、山への交通機関、そしてインターネット。技術の進歩は「山ガール」なんてな言葉を生み出すまでに山の方が「普通の人」に対して近づいてきた。
そりゃぁ今でも地図は読めた方が、天気は変化の原理を知った方が、答えに至るまでのみちのりや 便利な道具が潰れた時のアナログな対処方法は知っていた方が絶対に良い。{絶対量は減ったにせよ}必要十分な体力が何にせよ要るのも変わらない。
けど例えばあの頃、「カメラは機械式の方が良い!電池が無いと動かんなんて信頼性に欠ける!」なんて言っていた人が今もフィルムで撮ってるかというとそんな事も無い様に、技術の進歩はそのデメリットを凌駕するメリットを生み出し続ける。
多くの人が楽しんでいるレベルの登山においてはもはや、「リーダーとフォロワー」なんてな人間関係は時代遅れとなりつつあるのかも、知れない。
日本山岳ガイド協会{JMGA}経由でカシオのGPS内蔵腕時計WSD-F20のモニターに当選した。
今もガーミンの単体GPSは持っているのだが、腕時計に入ってくれたら小さいじゃないの見やすいじゃないの良いじゃないのくれるんでしょ?と応募してみたら貸してくれるだけだった。無念。
箱を開け、さっそく充電。
GPSが一般化し始めた頃は、「GPSなんてのはアメリカ軍の機嫌一つでどうなるもんだかわからんから」信頼に足らんという人が多かった。
これまた機械式カメラの話と同じように、あれよあれよと世の色んな物がGPSを頼り始め、突然無くなると色んな大混乱が予想されるまでになってきた。
「今さら流石に大丈夫でしょー?」
とは思うが、GPS自体に対する「機械に操られるようで嫌だ」、「自分の能力でやってる感じがしない」とかそういうアレルギーもよく聞く。丁度カメラも色々自動化していく時「撮らされてる様だ」とかそういう話、あった。
初登だとか新ルートだとか、一般的登山者にはほぼ無関係な世の中。
どうやっても良いでしょ?、何より安全に行きたいとこ行って楽しんだ者勝ち。便利な物拒否するこたーないぜ。
ウェーイウェーイ
・・・・・・・
〇俺嫁共に、持ってんのガラケー。{だって移動=自分運転、家帰ればパソコンあるしの田舎暮らし、スマホ見る暇ないんだもん}
〇アンドロイドのタブレットは持ってるんだけど、画面割れて修理中・・
〇もいっこのタブレット、アマゾンKindle Fireではアプリがなく。
〇パソコンにエミュレーター入れてアプリ開いてもBluetoothが繋がらず・・・
スマホ/タブレットにペアリングしないとひとまず時計としてすら活用できないとは。
・・・・カシオさんすんません、僕が時代に追いつくまで、ちょっとレビュー待っとって!
イタチザメ
最近息子の幼稚園では放課後漁港に釣りに行くのが流行りとなっていて
「今日港でサメが上がってるらしいよ!」
そんな噂が回ってきたもんで行って来た。
うわぁ。
ギャオス
ドヒャオス
ぐへぇ。
漁業に害を及ぼすという事で駆除してきたらしい。
なんか餌に食いついてきたところを電撃で仕留めて、船に上げられる大きさじゃないのでロープで曳航して持ち帰り、わざわざ解体してまた沖合に捨てて来るのだとか。
ホホジロザメが帝王でイタチザメはその下、って認識だったけどこれ、本物見たらもう重々十分。絶対出くわしたくありません。この時はまだ微妙に生きててたまに口をハフハフさせていた。
その後
「解体が始まったよ〜」
の連絡で行くと
子供達砂被り席で観戦中。
漁師さんたちが本当、底抜けに優しい。
子供の頃、両親が自分にしてくれて一番今の自分に生きているように思う事は、「学研」の科学と学習両方を買ってくれていた事がある。
逆を言えば他があまりないのだけれど、その点こんな環境で育つ事ができる子供らが羨ましくもあり、この環境を下さっている周囲の方々には本当頭が上がらない。ありがたい。
ぷっくり膨らんだお腹には子がいるかも、なんて言っていたが巨大な肝臓が詰まっていた。
{加工すれば肝油になるなぁ・・}
骨らしいものも見当たらずとんでもない大きさの切り身になって解体されてく身も、沖縄辺りじゃ全部食べちゃいそうなもんだけど、欲しがる人もおらず全部捨て。
{うちも冷蔵庫が空いていればば試してみたかったが・・}
サメの皮もおろし金が作れるなぁとか思っても、多分結局作らない。
あとで息子は歯を一本貰ってきていた。
宝物だらけだ。良かったなぁ。
NIKON F
最近カメラ関連の記事が多いのは、まぁ父が死んだもんで、そのカメラが手元に転がって来た、要らないカメラは手放すけど思い出も込めて何らかの記録を記しておきたい、とまぁそういう話。
オヤジホイホイ。
初めてこのカメラを手に入れた喜びを反芻したかったのだろう、うちにはこのカメラが3台はあった筈だ。
知らない人の為に一応書くと、これ、歴史的なカメラなんです。
ざっくり言えば「ライカが一番エェ!」とされたカメラの世界に殴り込んでカメラの世界の主流をかっさらってきた、もうカメラと云うより日本の工業製品の金字塔。弱点を全部潰して性能を引き上げた後継機が出た後まで15年も製造され続けた、そんなカメラ。
団塊の世代には思い入れを持っている人も相当にいるようで、この時に得た顧客層をニコンは手放せなかった。{と言うと意地悪い表現だろうか?}
未だにニコンのデジタル一眼レフもこれと基本的に同じレンズマウント{交換レンズとボディの接続方式}を採用している。し、この当時のレンズをそのまま使えるデジタルカメラ、このカメラを模したオモチャまでいまだに販売している。

- 出版社/メーカー: ニコン
- 発売日: 2013/11/28
- メディア: Camera
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フィルムを巻き上げて、露出計を付けていたらそれに合わせて正確な露出が得られ、シャッターを切ってすぐ次に備えられる。フツー。当然の事。今では。
視野率100%{ファインダーで見たそのままの範囲がフィルムに写る}と、言っても普通に現像に出してプリントして貰ったらその四隅が切られてしまう。
自動露出にピントも自動が普通の時代に育った自分は「んな重いカメラの何がエエねん」と思って 親父にもそう言った。
「重いから手ブレしづらいんや」
{石でも持っとけ}と思った。
まぁ、そんな風に崇められてたカメラと云う事もあり、重いしそうそう借りた訳ではないが使った記憶はある。中学2年くらいだ。
「お前もカメラ趣味にしたらええやないか」
と言われ、これで裏の溜池に来た鳥なんか撮っていたら 使いさしのフィルム一本分でその息子の趣味への投資が終了したのだった。
それでも思い出深い。
親父のカメラバッグを開ければ レンズをはじめ交換部品が色々揃っていて「合体ロボ」の様に遊べた。何よりただバシャリバシャリと空シャッターを切るのが楽しかった。そしてそれは今触っても変わらない。
露出計すらついていないこのカメラに残された価値は、今となってはそこだけにあるのだろう。
親父がコレクション的に使わずしまい込んでた皮ケース付きの方をマップカメラの買い取りに出したら査定が1000円だった。
おい、親父よ。上記のオモチャより安いわけだ。
こう云う物を棺桶に入れるべきだったのか、と こっちの都合で思うけど、本人としてはどーでも良いだろうな、とも思う。
手が空いて来たら、綺麗な方だけヤフオクに出そうと思っている。
SEDIC POCKET404
110フィルムって知ってる?
あ、まずフィルムって知ってる?昔、っていってもたかだか10年位前まではそんな物をカメラに入れて、撮ったらお店に持ってって数日後に紙の写真を受け取ってたんだよ・・
37歳ってまぁ、おっさんだよなぁ。
このブログって、意外と見られてるっぽいんだけど主に何歳代の人等が見てんだろうか??
興味がもしあれば⇓ウィキペディアでもどうぞ。
110フィルム - Wikipedia
{フォーサーズ規格と関係あったなんてマジっすか?販売終了と思っていたら再度販売されてたとは!世の中モノズキ&モノズキズキな人がいる物です。}
ま、けど一般的にはブローニーフィルムなんかより、ひょっとしてAPSフィルムより馴染みがあるかもしれない。
初めての「自分のカメラ」として自分が親に渡されたオモチャカメラも110のカメラだった。
そして父が自分のオモチャ的に買ってきたのがこのカメラ。
このファインダー側の対物レンズが黄色いミラー加工されてるのとか、この35mmフィルムではありえない形状が未来的でかっこよく見えた。
実際、「ハングマン」だったか、当時の探偵モノ的なドラマなんかで電柱の陰から現場を押さえるカメラとしてTVに登場してた記憶がある。実際そう使えるのかは別として、家にある物がテレビに映るというのは嬉しいものだった。{その割にはSEDICって云うこのメーカー今検索しても引っかからないんだよなぁ・・}
裏にはちゃんと三脚穴も、シャッターボタン横にはレリーズケーブル用の穴もある。
自然と右手親指の来る所のボタンをスライドさせて巻き上げ、人差し指でシャッターを切る。自然な動きで使えるし、意外と「ちゃんとしたカメラ」感がある。
中には「7K31」というこれまたナンジャコリャな電池{当然販売終了品}が入っている。
しかしこの電池、中身をLR44×3に入れ替えて使えるらしい・・フィルムも現像も何とかなるとなればまだ使えるっちゃ使えるけど、もーえーわ。
って事でこれまたさようなら。