屋久島の山は荒れたのか??

 富士山が世界遺産に登録されるだなんてな話で、世界遺産登録の影響で自然が荒廃した場所として 屋久島が引き合いに出されているのを見て、どうにも腑に落ちないでいる。


 まぁ、屋久島と云う名を聞いて 多くの人が思い浮かべるのは縄文杉で、それが象徴するのは大自然。そこには全く人の手付かずの原始林が広がっていて、だから世界遺産になったのだ、とまず思う。
 だから春先の太鼓岩から見下ろした山肌が桜でピンク色に染まった景色を見て 「地元の人達が今まで一生懸命守り続けてきたから こんな素晴らしい自然が残って世界遺産になったんだよ」なんて言われると当然何の疑いも持たない。{そしてこの言い回しもある意味嘘は言っていないが・・}

 しかしその実、桜が咲き誇っているその広大なエリアがかつての皆伐跡地であると云うのはなんとなくヤボな話のようで あまり話す人は居ないのではあるまいか。
 いや、資料館の展示品や立ててある説明看板には 場所によってはそう書いてある。それでもその目の前にある森からはそんな事がイメージできないのだろう。

{↑小杉谷山荘{現バイオトイレ}付近から見た宮之浦岳・昭和40年代}
 縄文杉に行く途中、小杉谷の小中学校も含む集落跡地を通過して行くが、そこの説明版にはかつてそこに133世帯・540人もの人達が暮らしていたと記されている。{この頃チェーンソーが導入された事により、小杉谷における人口の減少と共に伐採量は逆に増加してゆく。}



 その当時{昭和35年}の国勢調査によると日本の総人口9341万8501人。
 屋久島には上屋久1万3369人、屋久町1万641人 合計2万4010人。
 今現在 検索すると日本の総人口1億2781万7277人、2013年5月末の屋久島町民1万3590人。
 総人口と比較する必要も無いが、今より1.76倍の人口が暮らしていたという事。
 ヤク鹿も絶滅が危惧されていたと聞く。今では逆に自然を破壊する悪者側として、捕獲された上で埋められている程 増え過ぎたとされている{といっても適正量も解らない筈なのだが}。
 その当時この島に下水やゴミの処理施設があったと言う資料は見つからない。少なくとも火葬場は無かったと聞いている。
 まぁそんな事別に大して珍しい話ではない。今と比べて人間も 他の動物と同じ様に有機物の循環の中を生きていたと云うだけの話。有機物でないゴミの類は 森の中の集落跡地に今も沢山見ることができる。


 その後、その大正・昭和の時代の大伐採を受けなかった場所が主になり島の21パーセントの面積が世界自然遺産地域となる。その他各省庁もそれぞれ色々な保護区を作り、その保護区内において大規模な自然破壊は行われてはいない。


 連休やらになると確かに人が多くてストレスを覚える時もある。登山道や休憩場所が昔に比べて広がったと感じる場所は確かにある。トイレも色々問題を抱えているが、{これについてはまた別に書こうと思っている。}「自然破壊」と呼べるほどの影響は今まで無かったと捉えている。
 それは自然保護の問題では無く 観光資源やその在り方としての問題であり、そこは分けて考えるべきだ。



 自然保護って一体何なのか?
 守りたい自然って?
 それが一体何なのか、人々があまりに離れ過ぎてしまったから解らなくなってしまっている。だから実体の無いイメージだけで“何故守らないといけないのか”理由も解らずにその言葉だけが正義として一人歩きをしてゆく。
 自分の頭で考え判断してゆく その為にはとにかく知るという事。自分の目で見て体験した生の世界を学ぶ事。
 その本当の“自然”を知る事ができる 屋久島はそう云うすごく貴重な場所なのです。
 


 見てみてください。

 4〜50年前には草原となっていた森を歩き

 数百年伐られずに残った森を抜け

 数千年生きてきた巨樹に会いに行くのです。 


 それはとてつもないタイムスリップです。
 きっと貴方の家の近くの空き地でも、別に庭でもいい。
 数十年後、数百年 そして数千年 自然に任せていられたならば、そう云う姿なのです。
 それを許さない人々の営み、それが自然破壊であり、今 屋久島の保護地域内には無い物です。
 実は わざわざ屋久島くんだりまで来なくても 「自然」とは貴方の家の近くのコンクリートの隙間にだってあると云う事。



 それを、屋久島で知ってほしいのです。