コンパスのきり方
最近「山ガール」という言葉もあって 一応登山はブームにあるようだ。
だが、それは団塊の世代の人達が毎週末 強行スケジュールで夜行列車に乗って山を目指していたような泥臭い時代のブームとは違い、もっとライトでおしゃれな物らしい。
いい事だと思う。
多くの人がアウトドア用品・アウトドア経験を持つ事は 災害に強くなると言う事。
エコだ自然だという言葉が感情やイメージのみで語られがちな中、実体を知らなければ、本当に必要な事、大切な事がどこにあるのか誰にも解らない。
多くの人が自然と親しみ、そして広く正しく知る機会はもっと必要で、このブームはそれを後押しできる可能性を秘めている。
しかし、そうやって「自然」という物がイメージのみで語られがちである故に、単に「人に優しい、気持ち良い、リラックス」だけの面しか想定せずに自然の中に入って行くと 大きく裏切られかねるのもまた自然。
そのリスクを知り、それを含めた全てを受け入れるのが登山という行為であり、その行為を可能な限り安全に行う為に必要になってくる知識や技術というのは 耳の痛い話だが確実に存在する。
そんな技術の一つのお話。
「コンパスをきる」
という言葉をご存知だろうか?
これは{コンパスと地形図を用いて自分の位置を割り出し 目標とする方角を定める事}と思われがちだが、実はもう一つ深い意味を持っている。
人は地形図を開く時、純粋に自分の知りうる周囲の状況を精査し、冷静に地図+コンパスと向き合わなければならないのに、いつの間にか希望的観測や思い込みをそのコンパスにのせてしまう。
あとで冷静にやり直してみると違う結果が出るのに何故かその時はコンパスが思い込んだ方角を指していて、間違えた思い込みを確証へと変えてしまう事があるのだ。
人間は元来裸で生まれてきた生き物。
だというのに色んな利器に頼る事により本来備わっていた生きる能力というものを失いつつある。
だからあえて利器を斬り捨て、頼ろうとする自分を追い込む事で 遠い祖先が持っていた筈の帰巣本能を呼び覚ますのだ。
「なら最初っから持って来なければ良いのでは?」
その疑問はあの人達に
「最初っから服着ない方が良いのでは?」
と云うのと同じ。
横着せずに山にはコンパスと ちゃんとコンパスが斬れるだけの刃物を携行しましょう。
あー。
一応言っといた方が良いかな?
まさか真に受ける人は居ないよね?
コンパスワークは苦手です。