シミュレート

 一昨日、山から下りて携帯の電源を入れると、「お天気ニュース」からのメールが2通、嫁から1通。
 嫁からのだけ開くと 津波の予報が来てる・今夜出掛けるけど良いか?との事。
 大して気にもせずシャトルバスから車に乗り換えるとお客さんの携帯に続けて着信があり、「え?地震があったの?いや、そんな大丈夫よ、こっちは今山から降りてきた所よ。」
 窓の外では赤色回転灯を灯した消防車と妙にすれ違う。


 かけてた音楽をラジオに切り替えるとその場の空気がガラリと変わった。
 帰宅、テレビをつけると 押し寄せる大津波、燃えさかる石油コンビナート、異常事態の原子力発電所・・・思い浮かべるのはゴジラエヴァンゲリオンか。
 嫁の置いて行ってくれた飯が不味いのは、嫁のせいではない。


 昨日も山に行ってきたが、周囲の登山客の会話を盗み聞きするに 「{大変な事になっている筈の}会社に帰ったらどう言い訳するか」の口裏合わせだったり、家族と連絡が取れない事は忘れて楽しんだあと我に返った女の子だったり。
 「来てしまったモノはしかたが無いんだから 目前の事以外はさておいて楽しめ」
 急いで帰って何かが変わるわけでもなし、カシコイ選択をしたのだと思う。
 しかし何か違和感が胸に詰まって仕方が無い。
 明日から三日間あった修学旅行の仕事はキャンセルになった。
 そりゃぁ「それどころではない」事が起きているのだ。
 「観光は平和産業、平和あっての事なんです。」
 喋り口調のせいなのか喋り過ぎるせいなのか、言葉一つ一つが軽くしか感じられない某先輩の言葉が思い出される。
 恐らく僕らの仕事はまた、今年かなりの打撃を受ける事になるだろう。


 ひとまず今、5連休。この後も実際、分からない。
 阪神淡路大震災の時、自分は高校生だったのだけど バイクに乗ってやって来たボランティア達が瓦礫で通行困難になったような被災地で大活躍をしたという話を覚えている。
 自分の家の倉庫にはオフロードバイクが一台。サイドバッグからキャンプ道具までひとまず自分一人の生活を完結できる装備は揃っている。
 俺、行くべきなのだろうか?


 阪神淡路の時は、ちょっと走れば数時間で辿り付ける場所に最大の被災地があった。
 後になって「行っても良かったかな」と言う後悔に近い気持ちがあった。
 自分がバイトをしていたガソリンスタンドでも大きな募金箱を置いていて、洗車待ちや トイレを使いに、ジュースを買いに店内に来たお客さんが小銭を入れて行ってくれて いつしか箱の三分の2位まで募金が溜まっていった。
 それがある日殆ど無くなり、店長がそれを店の売り上げにしてしまった事を先輩から聞かされる。
 のちにこのオッサン{店長}とはケンカして辞めた。あんなロクデナシが世にゴロゴロしているとまで悲観はしてないが、どこか募金と言うのも心から信じられない。


 まだボランティアの受け入れ態勢が整っていないらしいが、なんと無しにバイクと一緒に行く為に必要な経費を計算してみる。


 屋久島〜鹿児島  折田汽船 屋久島2
 大人 島民・往復割引{一ヶ月以内} 6000円+
 自動二輪 750cc未満 2700円×2
 =11400円

   
        +


 志布志〜東京 マルエーフェリー 2週間に3回就航
 2等 18800円×2=37600円+
 自動二輪750cc未満 16500円×2=33000円 計70600円     
            
      
        =82000円


 東京までのフェリー代の往復だけで・・・


 流石にそれならその金を募金した方が良いのでは??・・
 自分が行く旅費としてならまだ出せるが その8万円を募金できるかと言われるとカナリ厳しい。
 きっと募金に上記の思い出があるからではない。自分が何かしたいと感じるのは結局人ではなく自分の為なのだ。


 自分の為。
 そこを考えると自分達の足元も信じられたものではない。
 種子島の向こうには琉球海溝がある。数千年前の薩摩硫黄島の噴火もある。
 今回の災害の教訓が 自分達の番が回ってきた時に生かせるように。
 人事だとは思わないのならば、できる事はそこにもある。