縄文杉コース入山規制問題
2・3年前までは規制すべきだと考えていた。
年々増える観光客。このままの勢いで行けば縄文杉コースには混乱と荒廃以外無いのではないのか?
短い間で消費され、飽きられてしまうのであれば、細くてもより長く続く方が良い。
何らかの形で入山者のコントロールは必要だろう、と。
いまだにその気持ちはある。
だから入山規制に反対する理由として経済的的打撃を言う事には疑問を感じる。
ここ数年の屋久島・縄文杉人気と言うのがこの先何もせずにずっと続くと思っているのだろうか?
現に今年になって実感として誰もが人が減ったと言う。続けて
「まぁ、去年・一昨年が異常だっただけだけどね」
変化を拒絶する事がつまりそのまま正しい答えだとは思わない。
入山規制の理由に自然保護を言うのは変な話だと思う。
登山者が一日千人来ても その千足の登山靴がパワーショベル一台分の仕事を越える事は無い。
大した必要の無い所に立派な道を作り続ける事の方が 縄文杉一本が折れる事より実質よっぽど重大な自然破壊と言える。
本当にやる気があるなら重箱の隅からつつき始めない筈。
入山規制に利点があるなら、話は観光資源を守ると言う事に集中すべきで、自然保護という地球の運命を背負う様な話を混同するとややこしくなってくる。
「観光資源を守る」のは一番に誰のためなのか。経済的な恩恵を受ける地域側であって観光客ではない。観光客にとって屋久島は選択肢の一つでしかないのだから。
だからたとえば観光客の方々からお金を取る事を「受益者負担」と表現するのもおかしいと思う。
今自分を不安にさせているのはそういった感覚のズレがどこか屋久島側、行政側に感じられる事。
「島外から来た人間が山を汚すから」、「来させてやるんだから金を払え」
「自然保護」の名目をつけて募金をすればみんなすんなり払ってくれる。
このまま入山規制に掛かる費用も別口で集めればややこしくなくて良い、と 何の効率化も図られずにアレの費用コレの費用とこまごま至る所でお金を取る 嫌な観光地になってしまうのではないのかと言う懸念。
入山規制をやるとして、観光地としての魅力を高めるやり方が本当に出来るのであれば自分は大いに賛成する。
しかしそれには越えなければならないかなり大きなハードルが幾つかあり、相当に高いセンスを持った人間{団体}に責任と権限を集中させ 腰を吸えて指揮が出切る体制がないと到底無理な様に思える。{別にそんな人間に心当たりがあるわけではないのであしからず}
それは地方自治体ではなく国そのものを動かすような事で、しかもお上はそんな状態にはなくて。
で。結局自分は今上がって来ている人数規制案に賛成なのか反対なのかと問われたら 賛成できない。
しかし 上にも書いたように ただ変化を拒絶する事がつまりそのまま正しい答えだとは思わない。
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この素案の内2ページだけ残して後は話を先に進めるようになんて、できないもんかねぇ。
さ、二時からの意見交換会に行ってこよう。