屋久島山岳部保全募金

 沖縄のひめゆりの塔を思い出す。
 行ったのは結構昔の事になるから今も同じか知らないし、頭の中での脚色もあるかも知れない。
 だけど覚えている事はひめゆりの塔の付近の露店花屋さんは、前を通り過ぎようとするとその背中に向けて
 「ここに眠っている人たちはあなた達のために、あなたのおじいちゃん達の代わりに死んで行ったのよ!花ぐらい手向けていく気持ちはないの?!」
 ととがった声を浴びせる。
 言葉とその地に染みた歴史に呑まれてどよーんとした気持ちになりながら歩いてゆく。

 少しだけ立ち止まって迷う。だけど自分がそこに植物の亡骸を感傷と共に放棄した所でミッドウェー海戦日章旗つけたイージス艦が現れるような事は無いし その地下壕にどこでもドアは現れない。
 あのおばちゃんは 花が売り切れたら店をたたんで手提げ金庫と鍵をジャラジャラ車に乗って帰るんだろうか。
 どう転んでも此処はピースサインで記念撮影する所では無いにせよ、手ぶらで行くのは罪悪なのか?
 資料館の内容やひめゆりの塔の記憶より、そのおばちゃんの事の方が強く記憶に残ってしまった。




 先日、縄文杉コース・トロッコ道崩落現場の迂回路が完成し、もう何度か通っているのだが 通る時まず最初に目に入るのがこの標識。

 手書きの「保全募金にご協力を」の文字が気になる。
 そして進むと

 えらい賑やかな。柵をしてあるのだし標識はコレのうち二つ位あれば十分に思えるのだけど。
 迂回路を歩き始めると今度は「あせらずゆっくり」「手すりを持ちましょう」「頭上注意」これもかなり賑やかなのだけどその必要性はナルホド納得。見事で素晴らしい簡易遊歩道ではあるが確かにゆっくり手すりを持って歩かないと 結構足元が滑るしそれに気を取られると頭をぶつけやすいのだ。
 
 そして今日一日しっかり歩いて登山口に帰ってきてみると登山口で募金収集の人が二人まちかまえていました。
 本来なら長い道のりを歩ききって「到着〜!」とその達成感に酔って貰いたい丁度その場で「募金活動を行っておりますご協力を・・・」
 知人の言い方を借りるなら「くしゃみを途中で止められるような」感じだから自分は好きではありません。
 そこに看板が添えられていました。

 迂回路はここからお金が出ていたんですね。知らなかったです。となると払わないと罪悪感が・・
 しかしそれって普通善意による「募金」で賄う物なのかな?
 行政の予算より臨機応変に使える財源があると便利なのは分かるけど、腑に落ちない事が色々と。
 「自然保護」だとか「人権」「平和」そう云う「絶対的正義」に近い扱いの言葉は、それだけにまず聞く側が気をつけないといけない。
 どうもこの募金が始まった時の「登山者に見せしめとして」と言う発想が出た頃から、この募金を動かしている人の中にものすごくセンスの悪い人が、しかも大きな力を発揮しているように思えてならない。