SURF

 カッコイイ、と世間に認識されている事がしたくない。
 自分がカッコイイと感じる物は世の中に色々あるし、男としてそういうものに憧れる気持ちは当然ある。
 けど、なんだか背伸びして「俺こうなの、カッコイイの」っていう空気を出し始めたらそれで終わりだ。こっ恥ずかしくて見ていられない。
 自分がそうならなければ良いだけなのに、結局自分が人目を気にしすぎている・そう見られたくないと云う事なのだろう、今までも気付けば世に「カッコイイ」とされる事の中心線をことごとく外して生きてきた。


 ビジュアル系バンドに憧れる女の子の気が引きたくてギターを手にしても、爪弾くのはビートルズ辺りから始まり泥臭いブルースにのめり込み、バイクに乗るにしても「バッタみたい」と言われる類のオフロードバイク。元々登山なんてのはまともに女子と目を合わせて話せない、「卑屈寄りな純情」男子と、「女で居る事そのものに興味がない」日焼け止めすら塗らない類の女子しかしないものだったのに、最近のオシャレさは何なんだ??
 スキーが好きだ。それもスノボじゃないからかも知れない。これがあの「私をスキーに連れてって」の時代だったら 少なくとも好きだと公言は出来なかったと思う。


 そこでサーフィンとはだ。
 それは加山雄三が戸板に乗る以前から「カッコイイ」の王道を行き、過去何度も流行の表舞台に立ってきたのにも関わらず、その流行の後も〝時代遅れでダサい”存在に落ちた事が無い。波乗りっぱなし。相撲や卓球とは比べ物にならない。
 それは何なのかを考える程、もうそれは単にスポーツというよりファッションや思想までをも包み込んだライフスタイルまるまるを指す言葉にまで広がっている様に思う。




 もう15年程も前になるか、「サーファーっぽい服」が流行った時期がある。
 別にそんなつもりはなくてもジャスコの二階とかにある「テキトーな店」で楽で涼しそうな「テキトーな服」を買い、まぁ色々あってオーストラリアに半年行って、一番安い飛行機がガルーダインドネシア。帰りにストップオーバーでバリに寄った。

 バリのクタはロクでもない所だ。
 とにかくちょっと歩くだけで〝たかり”の小僧どもがあとからあとから話しかけ、ついてくる。
 しまいに疲れて、とりあえず一人の〝手下”を決めてそいつに案内させて歩いた方が楽だという事になる。
 そんな奴らに何度か聞かれる。
 「サーフィン、スルノー?」
 そう、そこはサーファー天国として発展した観光地。
 「いや、せんよ。」
 そこで一言。小バカにした口調でクスッと笑い
 「エ?オカサーファー?」
 {※丘サーファー⇒サーファーファッションの流行と共に当時流行った言葉。サーフィンをする訳でも無いのにサーファーっぽい格好をする人を指す。}
 かましいわボケ!
 と、ムカついた思い出。
 別にウエットスーツ着て板持って歩いてた訳でもなく、テキトーな半袖半パン着てただけでサーファーに憧れてるような扱いを受けるのは心外だった。

 
 
 で。
 屋久島にもサーファーは居る。
 けどいつでも良い波が立っているような所がある訳では無し、良い波が立ってる⇒悪天候が多い⇒外行かないからその姿を目にする事もあまり無い。
 だにせよサーファーが居る風景というのはこの島に確実にあり、これはちょっと写真に収めておきたかった。
 呑みの席で一緒になったアッキー⇒{屋久島の雄大な大自然を体験するツアー|GREEN_MOUNT}に、良いタイミングが来たら教えてよ、と軽く言ってたら本当に連絡してくれた。
 「寒いから、温かい格好で来てね」
 優しい、イイ男なのである。

 いかにもサーフィン、いかにもカッコイイ写真が沢山撮れてしまった。しかしカッコイイのでここには出さない。
 アッキーには悪いが、代わりに一番カッコヨク無い、蛙の様なポーズをした瞬間の写真をここに出そう。

 けど、分かるだろうか?
 立って一つの波に乗り終えて それを超える瞬間宙を舞い、一瞬の自由落下で得た勢いで波の向こう斜面を滑り降りて行く。
 メーヴェに飛び乗るナウシカの様で無駄が無く、それは美しい動きだ。
 初心者では板に立つことから難しいと聞く。その不安定な中、見ている自分にさえその無重力と水を切り裂く快楽を感じさせる。これは格好では無く相当に楽しい、気持ち良いことをしているのだ。


 屋久島には磯が多くリスクも高い。場所とタイミングを押さえないと良い波は来ないと聞く。そしてこんな寒い日に海に飛び込まないと出来ない事。
 それは間違いなくカッコツケでやっているのではなく、自分の人生に嘘がつけない、やらずにはいられないからやっている。
 その姿は「世間」がそれをどう捉えているかとか、ファッションとも無関係にカッコイイとしか言いようが無い事。
 これは撮らない訳にはいかない姿だ。
 もっと彼らを追いかけたいと、そう、思わされてしまった。