D800とF2

 もう去年の事になるのだけど、時を前後して手元に二台のカメラがやってきた。

 ニコンF2とD800、かたやメカニカルカメラの最高峰、かたや 高画素デジタルカメラの最先鋒と、えらい対極的な組み合わせ。カメラに対する要求が支離滅裂なのではないかと自分を疑う。
 


 今更フィルムカメラの話をしても解らない人も多いので一応説明をしておくと。



 今デジカメでシャッターを押すと、自動でピントと露出{写真の明るさ}が合って SDとかCFカードの中にデジタルデータの画像が記録されます。
 ちょっと前まで主流だったフィルムカメラは、フィルムに画像が記録されて 現像・プリントと云うプロセスを経て印画紙に画像が記録されます。


 フィルムカメラでもピントと露出が自動なのは普通な事となっていましたが、ピントが自動化されたのはさらにちょっと前の事だし、露出はさらにさらに前の事となります。
 この、露出が自動化される頃に カメラの中にトランジスタみたいな電子回路が入り、電池無しではカメラが動かなくなってきた、それまでカメラはバネ・ぜんまいとか歯車とかの機械でガッチョンギッチョン動いていました。
 そしてこの、カメラが電子化されることを 信頼性がどうだと言って嫌った人達が居たのです。実際の所、電子的なよくわからない物より 接触し、支点・力点・作用点みたいなわかりやすい物理的な力で動く機械に惹かれる気持ちは、うーん解らない人には解らないのだろうか。{未だにロレックスみたいな機械式時計ってありますが、それと同じ。趣味性でしょう。}
 その、機械式カメラの高級機として最後のほうに作られた、故にこれ以上の物は無いと云う、そういうカメラがF2です。


 このF2の先代にニコンFと云う伝説的なカメラがあり、これまた日本の戦後復興・高度経済成長を支えた物作りの象徴的な物で 親父なんかは熱烈に憧れて手に入れ、その感動を反芻しながら余生を生きていたりする。その親父がオートフォーカス全盛になった頃に勢い余って買っちまったカメラを デジタル全盛の今自分が譲り受けた、とまぁそういう話。


 カメラ、とはあくまで写真を撮るための道具の筈が、写真と云うのが趣味ならば “カメラ”と云うのもまた違う趣味になりかねる魔力を 特にフィルムの時代には持っていた。触っていると、カメラと云うのが家電製品となり忘れかけていたそれを 思い出させてくれる。
 フィルムの時代はある意味良かった。
 中古の安物カメラでも、オートフォーカスの最新カメラでも結局同じ35mmフィルムに画像を焼き付けるもんだから、その意味では同じ土俵で戦えたワケだし カメラが一生モノになりえた。


 それがデジカメになると大きく変わってきて その進化のスピードはほんの少し前の物も時代遅れにしてしまう。
 ここまでの高機能って要るだろうか?と疑問を感じながらD800を買ったのだけど、使ってみるともう元には戻れない。
 この写真を

切り出すと

ここまで解像します。{もっと丁寧にやったり条件良ければもっといくんじゃないかな?。60mm macro iso400・1/80sec f11}
 お陰でトリミングしたい放題。
 前のD700の時点でRAWデータのレタッチ耐性が高かった{要は後での誤魔化しが効き易いって事}から撮る時に露出も大して拘らなくなってたし、この機種になってからはなんとなく「大きく撮っとけば切り出せる」と云う感覚が芽生えてきてしまった。
 これはちょっとマズそうだ。


 フィルムの頃よりよっぽど暗い所でも写せるし 無駄撮りできるし 手ブレしづらくなったし レンズもズームになって写せる可能性はどんどん上がってゆく。
 けど、もっと制約的に縛られていたあの頃にこそあんな名作が沢山産まれていた事、一枚一枚を大切に撮る事を忘れないように、時にはフィルムで撮る事も出来てしまう今と云う時代。
 これは、実はラッキーな時代なのかもしれない。 
 
 次の休みこそF2にベルビア入れて 新緑を撮りに行ってみようと思っている。