無題

 今日は山へ遭難者の捜索に行って来ました。こまごま何があったかはおいといて、ナカナカ疲れた一日でした。


 ずっと考えるのは遭難者は最後に目撃された後に想像できる状況の中で 果たしてどの道を辿り 何が起きたのか。
 顔写真と名前や立場以外にその人の事が判らない中、ありうる可能性を端から探って行く。
 「その状況でそこに入るとは考えられない」
 そんな事を言った所でそれはあくまで自分の尺度であり、自分の尺度で測るなら最後に目撃された時間・場所・服装やそもそもの行動が考えられない物となってしまう。
 ある程度山の経験をつみ始めてもう何年にもなる。自分が未経験者だった頃の思考回路をはっきり覚えては居ないし、覚えていてもやはり分からない。自分はその人じゃなく、その状況にも居ないのだから。


 捜索隊の人数は合計何十人いたのだろうか。現場では居た人の数だけの思惑があって、昨日まで捜索に加わっていた人の思惑が今日の流れに影響し、下山してみると遭難者の家族の方の様子が耳に入ってくる。
 正直言うと 家族の方の気持ちが分からなくて良かった。きっと今夜は寝れなくなるだろう。


 人の考えや気持ちはハッキリ言うと分からない。自分は自分でしかないのだから。
 そして基本は誰でもそうで、そんな人間同士が一緒に暮らすとなると苦労する部分も そりゃある訳で。


 ・・・・スミマセンお嫁様・・・いたわりが足りなかったです・・・以後気をつけます・・・・