焚き火

 どこだったかの原住民は 幼少期から刃物を扱わせる事により体験から危険を学ばせるのだ、と。その話でもって子供を危険から遠ざけるのではなく寧ろ体験させた方が良いのだ!
 とかそんな話あるよなぁ と、焚き火に夢中で寝ない息子を前にぼんやり考える。

 どこかの原住民を引き合いに出してくるのはつまり、「気高い精神性を持ったイメージ」=「正しい人ら」のする事だと示唆している訳で。言いたい事に大筋合意はしても、ただ丸々鵜呑みにするのもどうだろうかと。
 その子が一生そうだとは云わんが、中にはどうしようもなくバカな子は、いる。
 その炎のように危険な物と隣りあわせで長く過ごしても、たまたまその危険性に触れずに過ごせてしまう子もきっと居る。
 そういう寓話で短絡的に物事を捉えず、ちゃんと目の前のその子がどうなのか、見て 考える事をしないとなぁと。


 そして すんなり合理的に正しく育てられた人間が居たとして、それはそれで見えない世界も多いんだろうなと。
 だからまぁ、親として 可能な限りの多様な経験を与え、且つとりあえずの不利益を避けて、あとはなるようになれば、良いのだろうか。