“旧”高見橋

 TAKAMIBRIDGE, 30.3681470, 130.6617850


 屋久島空港を出て左折、1・5キロ程走り 右手にアイスクリームの美味しい八万寿茶園が見えて、渡る川の名が「落川{おとすがわ}」。
 それを渡る現県道の橋の驚くほど真横に、人知れず現存している。

 石でも落したくなるような切り立った深い川に掛かる、高い所から見下ろすような橋。命名者の気持ちは解る。
 永久保と長峰と云う集落の境であり、数年前まで上屋久町・屋久町、古くは上屋久村・下屋久村の狭間となっていた、本当に深い谷だ。

 昭和23年10月架設

 熊本営林局


 戦前の古い地図を探し出して見てみると、現永久保集落付近は国有林を示す濃い色に塗られている。大戦後の入植によって永久保と云う集落が誕生。それと時をほぼ同じくして掛けられた橋と言う事になる。
 屋久郷土史を開いてみれば その当時の開墾者の苦労と、この橋ができる前にこの川で起きた乗合自動車の転落事故なんかについても読む事ができる。どうやらこの橋以前にも同じ場所に木造橋があり、オトスガワ橋と呼ばれていた様だ。


 その時代にこんな立派な橋を建てられた営林署と云う存在。
 当時を知る人からはこんな言葉を聞いた。


 「営林署といえばもう、天皇陛下みたいなもんだった」


 当時の人達は今考えられないほどに貧しい生活を送っていて、その中で営林署関連の人は格が違ったようだ。島外から金を持ってこられる存在と云うのが他に殆ど無かったのだろう。
 元を辿れば営林署によって掛けられた橋、作られた道は多数あるようだし、安房周辺では営林署内の医務室以外に頼れる医者がいなかったとも聞く。
 そう聞くと「天皇陛下とはオーバーな」ともあながち言えない様に思えてくる。






 この橋から歩いて旧道を辿ってちょっとお散歩。

 現在の橋にしても ここまでしてこの位置に橋を作ったと云うのにはよっぽどな地質・地形的な理由があったのであろう事が想像できる。
 北側は

ココ、南側は

ココと繋がります。



 途中、結構しっかり切り通された道路がその面影を綺麗に残しながら森に還っていく姿が見物です。
 マムシのいない時期のお散歩コースに、如何でしょうか?